Little by little ー子宮ガンになってー
結婚2年目、そろそろ子供を・・・と思って婦人科に行った先で判明した病気と その後の揺れる思いと日々の生活・・・
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Author:bitter
まさかのガン患者になり、人生設計を変えなくてはならなくなってしまった「ディスコ」世代の主婦です。



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ZARD 坂井泉水の死
今日、仕事中に知った。
「えっ!うそぉっ!」と思わず大声で言ってしまった。

帰ってからニュースで、彼女が子宮頸がんを患っていて、肺に転移が見つかり、抗がん剤の治療のため再入院していた病院で転落死したと知る。

それから、もう一つ驚いたのが彼女の年齢だった。40歳とのこと。
昔のイメージしかないから、30代前半だとばっかり思っていたのだ。

私は彼女の歌が好きだった。
友人にZARDの声に似ていると言われた事があり、カラオケでもよく歌っていた(これは、あくまでも私の友人の談

最初、このニュースを見たとき自殺では…と思った。
経過順調の後の肺転移での入院だったから…。
(私が彼女の立場なら考えてしまうと思ったので…)

本当に、ガンという病気は恐ろしい病気だと改めて思い知らされた気がする。

心からご冥福をお祈り致します。

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2ヶ月検診
リアルタイムの日記でございます。

今週、2ヶ月ぶりの検診に行ってきました。
退院後、ようやく1年が過ぎたので前回の時に先生が、「次回から2ヶ月毎でいいですよ」と言ってくれていたのだ。

仕事を休んで、昼から大阪へ
今回は意外と空いていて、診察券を通してから、血液検査・診察終了まで1時間で終わった。
前回、腫瘍マーカーの値が3ヶ月続けて増えていたので、念のためにCTを撮っていたのだ。その結果は・・・全てクリアだった
ひとまず、安心
でも、まだ、正常値内には納まっていないのだが・・・

次回は先生が夏休みなのだそうで、少しずらして予約をとる。
そうか、もう、そんな季節なんやぁ。夏かぁ
けど、水着は無理やなぁこの傷やし・・・(というより、お腹の肉やろ
こんな事を思いながら病院を後にする。

次の日、職場に行くと、「昨日はどこか遊びにいかれたんですかぁ?」との質問。
「いえ、チョット病院へ・・・」

今後2ヶ月毎に休みを取る度に聞かれるのだろうか?
やっぱり、話しておく方がいいのかなぁと、少し考えてしまった。



入院9日目(術後5日目)
今日はぐっすり眠れた。

昼から、母ともう一人の妹が来る。
この妹は今、妊娠9ヶ月の妊婦なのだ。だから、入院が決まった時に一応どんな方と同室になるか分からないのでお見舞いを少しばかり遠慮してもらっていたのだ。
もし、私と同じように子供がいなくて子宮ガンになってしまっている方が妊婦を見たら、精神的にかなり辛いものがあると思っていたからだ。

幸い、同室にはご年配の方ばかりでその心配はなさそうだったので連絡したのだ。

しかし、何か運命(さだめ)みたいなものを感じる。私が子宮を失う時に新しい命が生まれるなんて・・・とは、言っても我が子ではないんだけどね(^^;)

2時間ぐらいロビーで話をしてお別れ

あ~、しかし、腹筋・背筋が使えない状態というのは、本当に寝る事ひとつとっても大仕事なのだぁ
入院7日目(術後3日目)
今日はお昼から大部屋へお引越し

身内軍団に助けてもらいながら、無事に大量の荷物をまとめる事ができた。夕方まで、みんなと話をして夕食時間にお別れ

夜になって分かったのだが、ベッドが個室の時の様に自動じゃな~い!
今のあたしには、非常に辛い大部屋再デビューとなった。

あ~、腰が・・・傷口が・・・誰か~~~助けて~~~
入院6日目(術後2日目)
痛み止めがとてもキツイので早めに抜いてもらった方がいいんじゃないかと妹。眠気を早くとった方がいいとの事。K先生も私の熱が下がらないのでか、痛み止めを抜く事を決断
お昼前に抜いてもらった。
すると、とたんに元気が出てきた
さっすが、わが妹 伊達に看護士経験は長くない
お昼から、母や弟達が来て、夕方までいてくれた。その後、相方も・・・

今日の晩は一人だが、眠剤飲んで、熟睡
入院5日目(術後1日目)
この日も痛み止めのせいもあって、起きては寝て×2、のくりかえし
昨日は妹が泊まってくれていたので安心していたからか・・・
しっかし、昨日からず~っと熱が下がらない。39度近くあるので非常にしんどかった
術後は仕方ないらしいが、妹は抗生剤が合わないんじゃないかと言っていた。(後で考えると、どうもこの読みは当たっていたようだ
結局、この日も妹が泊まってくれることに・・・
やはり、かなりしんどい

入院4日目(手術後)
気が付いたのは8時30分頃らしい。
麻酔が覚めた時、割としっかり意識が戻っていた。

先生に「ありがとう

相方に「マクドばっかりはあかんで!」と言ったのを覚えている。

母・妹・弟、相方のお母さん・相方の妹さんがいた。
相方のお母さんは泣いていたようだ。

が、また眠気が襲い、そのまま眠りにつく。

目が覚めたのは看護士さんが点滴を入れ替えに来た時だった。
1晩中、眠くてボ~っとしていた。


入院4日目(手術前)
前日も眠剤を飲んで寝たのだが、夜中の3時頃に目が覚める。
やはり自分では緊張していないつもりでも、身体は正直なのかそのまま朝をむかえる。
昨日の晩から絶食状態で朝食はおもゆ2杯。9時以降は水もダメとの事。

左手の甲に手術時に太目の針が入るとの事で、テープ式の麻酔を貼られる。それから少しして、私の前の手術が30分程遅れているので最低でも3時にはなると報告を受ける。(予定は2時30分だった)
やはり手術は朝一がいいと思った。待っている間が患者にとっては一番辛いのだ。
2時前後に母と妹と相方が訪れてくれ、私を戦場へと見送ってくれる
後は看護士さんの「GO」サインを待つのみだ。
看護士の妹は「30分遅れ」って言われたら、1時間は遅れるでぇ~と言っていたが、いやいや見事に30分遅れの2時半に「bitterさ~ん」と呼ばれ部屋を出る。
ここからが私が最も驚いた事なのだが、なんと手術室までベッドではなく、車椅子でもなく、歩いて行くのだ。(えっ、当たり前
昔、ガンではない病気で1度手術をした事があったのだが、その時はベッドに乗っていったので、てっきり今回もそうだとばかり思っていたのだ。まぁ、まだ元気なのだから当たり前と言えば、当たり前なのだが・・・

ギリギリまで家族が見送ってくれたが、「ここまでです。」と言われ、手を振って別れる。
いよいよ中に入ると、手が、脚が、震え出した。
「えっ、何?」
自分でも分からない。が、震えは止まらないのだ。
担当医のK先生がわざわざスリッパを履きかえる所まで出迎えてくれていたので、少し落ち着きを取り戻す。そこから、また廊下を歩いて手術室へ。
扉を開けて中に入ると、面食らった
目の前にあのTVで見たままの映像が広がっている。
真ん中に私が乗るであろうベッドが置かれていて、「こちらへ、どうぞ。」と、促される。この時心臓が飛び出しそうな程ドキドキしていた。そのドキドキはだんだん激しくなってきた。
やっぱり、ベッドで運んでもらった方が良かったよぉ~と泣きが入りそうなのをグッと堪えて、手術台へ。
この時点で、私の恐怖心はピークに達していた。

それとは逆に、先生達はいやにリラックスしている様子
笑いながら、私に声をかけてくれたりした。これも安心感を抱かす為なのだろう。

最初に点滴で麻酔を入れる為の針を手の甲に刺す。これが、新人さんらしく、なかなか上手くいかない。
「痛いねん」と思いながらも天井を見つめて耐えていた
次は背中の麻酔注射。身体を出来るだけ丸めて、背中に打ちやすくする。この注射、聞いていた以上に痛い。いや、痛すぎる
「痛~い、先生~!」今度は声に出てしまう。ベテランの先生だったが、なんと、失敗 (うそやろぉ~!頼むわ~先生~!もぉ~
すると、担当医のk先生が、「後で文句言ってやり~!」と和ませ役に回っていた。麻酔科の先生はオヤジギャクを・・・私はそんな余裕はなく、
「早く、決めてくれ~」と祈る(怒る)ばかりだった
何とか、次は決まったようだが。。。その後は・・・夢の中へ・・・

入院3日目
今日の目覚めは快適だった。
昨日の看護士さんの忠告が聞いたのか、昨夜はさすがに静かだった。(と思う。私が眠剤を飲んで寝たので、もしかしたら爆睡で気が付かなかったのかも・・・

朝からお腹も空いていたので、パン食を楽しみにしていたのに手術前日という事でおかゆだけだった
朝食が終わるとまた時間が空いたので昨日から読んでいる「医者が乳がんになった本」を一気に読んだ。医者として、女性として、母として、妻としての気持ちが素直に書かれていて非常に興味深い内容だった。

昼からは麻酔科の診察を受ける事に。
もう一人の子宮筋腫だという患者さんと一緒に連れて行かれる。この方はなんと15cmぐらいもの大きさの筋腫があるらしい。でも、それでも子宮は残せるとの事。なんだか、また落ち込んでしまった・・・
それが終わると、次は下の毛を剃る儀式が始まった
昨日学生さんにも見学していいよと言ってあったので、彼女が帰る3時前に終えるためだ。

「はじめます。」と言っていきなり「ウィ~ン」という音が聞こえた。
「えっ、うそ!」 
私の頭の中では勝手にクリームか何かをつけて安全カミソリみたいな物で剃るものだとばかり思っていたからだ。
「え~、髭剃りなん?」と心の中で無抵抗のまま叫んでいた
この儀式は私にとっては結構ショックな出来事だった。
終わってトイレに駆け込み、少しの間、坊主頭に見入っていた

次はCT検査へ。
万歳をして、10秒程息を止め、再度造影剤を入れて本番。
しかし、この造影剤がきつい。一瞬の内に体中に厚い物が走り出して息苦しくなった。動揺したらパニックを起こすんじゃないだろうかという感じ。
入院して初めて患者らしく、ベッドに横になった。

夜はカンチョーが・・・
普段から便秘気味だからあんまり上手くいかない・・・

さぁ、いよいよ明日。
いざ、手術。

入院2日目
眠れなかった。一睡もできなかった。
これは、精神的に辛かったからとかではない。同室のばばあ(そうも呼びたくなるのだ、許して~)が何を思っているのか夜中にイヤホンもつけずにラジオを聞きだしたのだ
一度部屋を出て、戻ってきたのだが案の定まだ聞いている。こうなると苛立って余計に眠る事なんてできない。仕方がないので、日記でも書こうと外へ出た。すると看護士さんが「眠れませんか?」と聞いてこられたので、その人の事を伝えると、「え~、ほんまに~!!明日言いますわぁ。」と関西人らしい返事が帰ってきた
その人は看護士さんが入ってくると、ラジオの音を瞬時に下げ、出て行くと又大きくするので看護士さんには分からなかったらしい
何と、汚い事を~
それやったら、個室へ行け~
っとに、常識のない人が同室になると入院生活が一気に下がってしまう。

それはさて置き、昨日は沢山の人から励ましのメールを頂いた。
やはり、嬉しいものだ。頑張れと言われても複雑な気分だった1週間前とは違い、今日はとても素直に受けとめられる。
相当弱っているのだろうか

それから、ベッドの硬さがイマイチ合わなくて・・・と伝えるとマットを軟らかい物に変えてくれた。対応が早くて感心した。
 
この時期、病院では、提携している看護学校の学生さん達が実習にやって来るそうだ。それで、それぞれ担当の患者さんについて学ぶらしいのだが、私にも声がかかった。この若さでガンに罹っているのは私だけだし、看護学校の先生も勉強になると思ったのだろう。
もちろん、了解した

今日は結局、血液検査だけ
手術3日前に入院する必要があるのか疑問に思うのは私だけ・・・
入院中の日記発見
そうだ!私は入院中日記を書いていたのだ!

いつか、自分が入院前に励まされたようにブログを始めたいと思っていて、日記を付けていたのだ。
すっかり忘れていた

ここから、その日記を基に入院中の事を綴っていきたいと思います。
少し息抜き
昨日、ガン友全国MAPに登録致しました。

ミームラさんの対応の早い事に驚き、やはりこの企画を起こした行動力のある方だなぁと感心しております。

さてさて、私はこの3月初旬から仕事を開始しました。
勤務時間が10時~4時という短い時間だったので、少しずつ慣らしていくのには丁度いいかなぁっと思っていたのですが、定時に帰れた日は数えるほど・・・
トイレに行くのもままならないぐらいの忙しい職場に配属されて、毎日があっという間に過ぎている状態です

一番溜めてはいけない、ストレス溜まりまくりなんですが、まずいかなぁ

それに独身OLさん達が「今度合コンがあるんです~」と言っているのを聞いて、「いやぁ、楽しそうでいいや~ん」とか言いながら、少しばかり羨ましく思うのもイケナイ事?かしらん

今の所、職場の人には病気の事は言っておりません。特に隠すつもりもないのですが、まだそこまで親密な関係ではないという事と、言ったら変に気を使われそうで・・・

こういうタイミングって難しいですね!






入院1日目
とうとう、入院の日がやってきた。
前々日ぐらいに病院から電話があり、

「○日から予約が入っておりますが、ご希望の大部屋が空いていないので重症患者用の個室か、同じ階で反対側の産科のご主人のみ面会可の3人部屋しか空いておりません」
ときた。

(えっ!この人あたしがこれから受ける手術が何か判ってるん?どの口で産科に行けと???
と、心の叫びが漏れそうだったのを押さえて、
「産科の主人のみの面接って、どういう事ですか?他の人は入れないんですか?」
と聞き返すと、

「ご主人以外は面会謝絶の部屋なんです。」・・・と。

個室はやはりお金がかかる事もあり、手術後何日かだけにしようと考えていた私だったが、致し方なく重症患者用とやらの個室でお願いする事にした。

電話を切ってから、怒りがフツフツと沸いてきて、もうちょっと、配慮があってもええんちゃうんと一人この病院側の対応にムカついていた

まぁ、事務チームと先生方がいちいち意思の疎通を行う時間はないと言う事は分かるけど、もうちょっと何とか考えて欲しい配慮だった

しかし、いざ病院へ行って見ると、大部屋が空いたので入れます。との事。なんだかなぁ~って感じだったのだが、まぁラッキーだと思う事にして病室へ・・・

そこは、想像していたものとは全く違って、とてもビューティフルだった。
大部屋っていっても4人部屋だし、しかも窓際開放感バツグンなのだ。

まず、周りの方への挨拶を済ませ、送ってきてくれたみんなと別れ、いっぱいの荷物を整理していると看護士さんが色々と説明にきてくれた。
それから、あっという間の夕食
まだ、どこもかしこも元気なので少し足りない量だったが、我慢我慢。

その後は持ってきていた本を読んだりTVを見たりして過ごしていたが、夜はやはり涙が自然に出てきてしまう。
同じ階の反対側では新しい命が次々と誕生している。その側には嬉しそうなご家族の顔。

それなのにあたしは・・・

手術までの3日間もかなり精神的にきつかった







テーマ:いま想うこと - ジャンル:日記

決断
広汎子宮全摘手術とリンパ節郭清、これが私が受ける手術名になった。

そう、私は子宮温存を諦め、子宮全摘に決めたのだ。
なんで?なんで?と思われるかもしれないが、決めたのだ。

悩んだ。本当に悩んだ。子供が欲しい気持ちは1年経った今もないとはいえないぐらいだから・・・

それならどうしてなのか?
実は日が経つにつれて、「死」の恐怖に耐え切れなくなってきたのだ

前にも書いたように、私が行っている病院では温存手術がまだ「1例」だったという事もあり、手術自体に不安があった
最初はそれでも賭けてみたかった
もしかしたら、何年かそう遠くない先には温存の手術が当たり前のように行われているかもしれない。
そうなったらきっと後悔すると思っていたからだ

だが、だんだん手術日が近づいてくると今度は「死」への恐怖が襲ってきたのだ。
これは初めて感じるものだった。

怖かった。本当に怖かった。

自分の命より子供を・・・という方の話を聞いた事があるが、私は死ぬのは嫌だ。この年齢なら、まだまだ何でもできるし、まして相方に申し訳ない。
もし、立場が逆ならどう思うかとかも考えたが、やっぱり相方には生きていて欲しいと思うのだ

二人の子供の顔はもちろん見たかったが、自分の年齢も考慮し、私は「生きる」事を最優先に考え、それに対して今、最も可能性の高い全摘の方を選んだのだ。

どちらかを決断したら、必ず後でもう一つの方が良かったのではないかと考えてしまう事がある。 

だが、私は決めたのだ

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最も長い1ヶ月
手術日までの1ヶ月、本当に長く憂鬱な日々が続いた。

旦那のご両親へ報告 
1ヶ月もの入院生活に対する準備とその間の旦那一人の生活の心配
友人にどうやって報告しようかという事
赤ちゃんを抱いているお母さんを見ると、涙が出てくる自分
ネットで色んな方のブログを見て、一喜一憂
想像もできない手術の痛みと後遺症の不安
子宮温存か全摘かを自分が決めないといけない事
がん保険に入っていなかったので、いくらかかるのかという金銭的な不安
etc.

この時が精神的には一番きつかったように思う。
人間、決めたら後はそれに向けて動けばいいのだが、決断するまでがやはり心が痛む。
本当に一人でよく泣いた1ヶ月だった。

しかしこの後、私は最初の気持ちとは逆の決断をする。

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意見の相違
私は心の中で決めていた。この手術に挑戦する事を・・・

だが、母親と妹の意見は全く逆だった
これは、私にとって以外だった。出来るのならやろうよ!と単純に考えていたのかもしれないが、子供を授かれる可能性に賭けてみたかったからだ。だが、身内の二人にしたらそれよりも命の方を第一に考えるべきだとの事だった。

相方はというと・・・悩んでいたと思う
簡単に答えを出せなかっただろう。彼はその時はあえてどちらとも言わなかった。
家に帰り、二人だけになった時こう言った。

「bitterはどうしたいん?」・・・と。

「あたしは・・・挑戦してみたい でも、やっぱりまだ決められへん」

「オレは、bitterのやりたい方に賛同する
お母さんや妹さんの意見も分かるけど、自分で決めればいい。手術受けるのはbitterやから・・・」

若干、突き放した様に聞こえるかもしれないが、これが彼の精一杯の私への配慮だったと思う。
(っとに泣かせるんだから・・・
やっぱり自分の身体にメスを入れられるわけだから、本人が納得しないとね!

手術までの1ヶ月、私の心の中は行ったり来たりの毎日を送る事になるのでした。

PS.
後になって思ったことだが、やはり私はラッキーだったんだと思う。
温存手術ができる先生がいたからこそ、手術方法を自分で選択することが出来ただけではなく、自分の人生の事、また相方とこれからの事を深く話す機会を持つ事が出来たから・・・


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子宮温存手術
前の記事にも書いたのだが、子宮温存ができる手術方法というのが最近できるようになってきたらしいのだ

もちろん、私もこの間ネットで色んな情報収集をしていたので、その手術があることは知っていた。
しかし、それを行っている病院は、岡山・東京・札幌の3箇所だけだと思っていた。これは結構本気になって探していたのでたぶん、正確な情報だったと思う。大っぴらに発表している病院という事だが・・・

それが、私が行った病院でもできる先生がいるというのだ。
これは、私にとって唯一の光明だった
だが、反対にこの事が私を大いに悩ます原因になったのだ

次回診察時に聞けなかった事を色々と聞いたみた。
すると、その手術を行ったのはまだ1度だけだという事
そして、まだその方は経過観察中だという事。(当然だが・・・)
手術の後、必ず化学療法を行わなくてはならないという事。
その化学療法で、放射線治療を行わなくてはならなくなったら、子宮があっても出産は無理だということ。
たとえ、上手くいっても妊娠・出産は非常に難しくなるという事。
子宮を残すのであるから、再発の可能性が高くなるという事
後遺症は温存も全摘もそんなに変わりはないらしい(しかし、これは看護士の妹曰く、温存の方が手術が難しいので後遺症が出る可能性は高くなるはずとの事だった)

やはり、リスクは高い。

それでも、子供を授かる可能性を持ちたいというのであれば温存手術を行うしかない。

これを聞くとき、相方・母親・看護士の妹の4人で聞いていたのだが、診察室を出てからの意見は見事に分かれていた。



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告知の日の夜
家に帰って一人で泣いた。
というより、涙があふれ出てきた。

この時は自分がガンを患ったという事が辛かったのではない。
自分が子供を産めなくなってしまうという事が何より辛かった。悲しかった。

相方を父親にしてあげる事ができなくなる事。
相方のご両親に孫を抱かせてあげる事ができなくなる事。
自分が母親になれなくなる事。

当たり前の事が出来なくなるという事実。

その晩、出会ってから初めて相方が泣いた。

「何で、bitterなん、何で・・・」
「オレが代わってやりたい・・・それが出来ひんのが辛い・・・」

二人で泣いた。

私は相方にこんな思いをさせてしまったのが何より辛く、泣いていた。



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告知
とうとう、検査結果を聞く日がきた。
この間、精神的にとても不安定な日々を過ごしていたので、どっちになっても早く結果は聞きたかった。
この日は、相方も母親も時間が取れず、私一人で聞きに行く事に・・・

呼ばれていくと、先生の表情が険しい。

先生:「残念ながら、前がん状態ではなく、進行がんだと言うことが分かりました。ですが、ステージがⅠb-1期でリンパ節には進行していないようなので、子宮を残したいという強いご希望があれば残す事ができる手術法もあります。bitterさんはまだお子さんがいらっしゃらないということなので、ご家族の方とも相談して考えていきましょう」と。

私 :「えぇっ!ここでも子宮温存の手術ができるのですか?全国でも数箇所しかやられていないと聞きましたが・・・」(実は事前にネットで色んな情報を仕入れていたのだ)

先生:「昨年、転任されてきた先生が、この手術法を取り入れようという事で、やり始めたばかりなんです」

私 :「あっ、そうなんですか・・・わかりました」

その後、病院から駅まで歩いている間、呆然としていた事だけは覚えているが、頭が真っ白な状態だったと思う。

たまたま、相方から電話が入り、「どうやった?」と聞かれ、「私、ガンやって・・・」とだけ答えるのが精一杯だった。

後で聞いた話だが、相方は電話を切った後、しばらく動悸が治まらなかったらしい。

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2度目の検査
年が明けて、待ちきれなかった私はすぐに大阪の総合病院へ

案の定、待つ事3時間半・・・
やっと呼ばれて、先生に紹介状の内容を確認してもらい、再度細胞診を受けてその日は終わり。
翌週、結果を聞きにいく事に・・・

この時に見て頂いた先生が私の担当医という事になるようだ。
思っていたより若く、ちょっと頼りなさそうな感じがしたのだが、まぁ、人の良さそうな先生だなというのが第一印象。
病院がいくら評判が良くても、やはり担当医が誰になるかでその後の長いお付き合いにはとても重要になるから。まぁ、可もなく不可もなくといった感じだった(スイマセン、先生

そして、1週間後・・・
細胞診の結果は前のⅣより悪い、Ⅴだったのだ

あぁ、最悪の事態になってしまった。
これで、「ガン」である事は明白になってしまったのだ

この時は、やはり辛かった。が泣くまではいかなかった。
まだ、これからCTやMRIを撮って細かく調べて今の状況がどの程度のものなのか調べなくてはならないとの事で、予約をどんどん入れられた。
その結果、円錐切除ですむのか、子宮を摘出しなければならないのか判断するとの事。まだ、望みはあったからだ。

もちろん、子供を授かれるという事に・・・



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